電通総研

JP EN
「クオリティ・オブ・ソサエティ」レポート
こちらは2023年までの電通総研が公開した調査関連のレポートです。過去のレポート記事は、以下のリンクからご覧いただけます。毎年掲げるテーマに即した、有識者との対談、調査結果、海外事例、キーワードなどがまとめられています。
クオリティ・オブ・ソサエティ2024「問いという帆」インタビュー 西垣通氏
デジタル化の進む日本社会で必要なこと
東京大学名誉教授の西垣通先生は日系大手メーカー勤務、米スタンフォード大学を経て情報学を専門とする研究者となり、文理融合の第一人者として知られています。これから社会のデジタル化が急激に進む中で私たちはどのような問いをもつべきでしょうか?長年、情報通信技術の開発・研究に携わり、テクノロジーだけでなく人文視点からも情報社会について深慮されてきた西垣先生に情報の本質から語っていただきました。

聞き手:山﨑 聖子、中川 真由美、日塔 史
フォトグラファー:八田政玄
2023.12.20

# クオリティ・オブ・ソサエティ

# 問いという帆

# デジタル・トランスフォーメーション

# AI


INDEX

人間は機械ではない。
情報の本質は「生きる」こと

西垣先生の約40年にわたる情報学の研究で一貫しているのは、「情報」の概念そのものに「人間中心」「生命中心」「心」といったものが根本的に結びついているところだと思います。近年、人工知能(AI:Artificial Intelligence)などのテクノロジーが進化する中でデータの重要性が叫ばれていますが、しかしその文脈では必ずしも「命」と「情報」が結びつきません。その原点や本質はどこにあるのでしょうか?

人間を大事にしたい気持ちは確かにあります。なぜなら、人間以外のことが中心である考え方もあるからです。例えば王室の存続が一番大事だと考えると、国民は死んでもいいということにもなりかねません。そのような考え方はやめて、「一人一人の人間を大事にしたい」ということは、私の信念のコアです。私は別に「人間中心」と大上段に振りかぶるつもりはなく、一人一人の命、さらに広くは動植物の命も大事だというだけです。命を大切にする考え方は、東洋ではわりと広くあるけれど、「人間中心主義※1」は、英語だと
“Anthropocentrism”で、必ずしもよい意味ではない。とにかく人間が大事なのだから動物や植物なんかは利用すればよいという考え方が生命環境を壊してしまいました。他の生物はどうでもよいというのとはむしろ逆で、私は「生命環境の保護」という価値観を大事にしています。

私の主な批判は、デジタル世界をリアル世界よりも優先するという「機械中心」の風潮なのです。例えば「サイバー・フィジカル・システム(CPS:Cyber-Physical System)」※2というのがあります。フィジカルというのは物理的な生物の生きている世界で、サイバーというのはデジタルな世界のこと。サイバーのほうが大事で、そこから演繹してフィジカルなほうをコントロールしていこうとする方向性を私はあまり好きではありません。これは悪い意味の人間中心主義です。CPSで経済活動をおこなっていく場合、短期的な利益を求めざるを得ません。誰でも組み込まれたらそうなります。そうなると私たち人間が生きていくという優先度が下がってしまい、生命的価値観が損なわれてしまう。そういう方向性に対して私は批判的なのです。

生命的価値観を大切にしている西垣先生が考える「情報」とは、どのようなものでしょうか?

情報というと、データつまり機械的(特にデジタル)な存在だ、と多くの人が思うでしょう。データが順調に処理されるのはよいことですが、それが何のためなのかと考えると、やはり人間のためであるべきだと思います。また、情報という言葉は二通りに使われていて、情報理論※3に由来する通信工学的な使われ方と、伝達内容という日常的な使われ方があり、混乱しています。そこで、私は情報を基礎から捉え直しました。

情報とは本来、生きるための有用性、つまり個々の人間にとっての生命的な価値(=意味)をもっている存在です。「生命情報」が記号(言葉などのシンボル)で表現されて「社会情報」となり、それを効率的に記憶し流通させるために「機械情報」が生まれます。デジタル情報はコンピュータで操作できる機械情報の一種に過ぎません。コンピュータによる情報処理は、直接には、意味と無関係な形式的処理です。具体的に例を挙げると、多くの人にとっては「イヌ」というと尻尾を振るペットといった実体と結びついています。これが「社会情報」で、記号論における記号表現と記号内容の組み合わせです。記号表現をデジタル化したらイヌの画像データなどの「機械情報」ができます。ところが、人間には「あのイヌがすごくかわいいの」といった生命的な意味の世界が一番大切なのです。それが本来の情報です。私はこれを「生命情報」と名づけました。

「生命情報」から発して、それが「社会情報」になって、さらにデジタル化して効率よく伝わる「機械情報」となる三層構造をきちんと踏まえていないと、デジタル社会で私たちは機械のごとく扱われてしまうでしょう。これが、私が「生命情報」と言い出した理由です。結局、生命体にとって価値があるのは自分にとっての意味。これは記号論でいう記号内容つまり辞書的な意味ではありません。「生命情報」は「本来の意味」で、感情や身体的なものと結びついているのです。

基礎情報学における情報の三層構造(西垣通『基礎情報学』の定義より、ご本人監修のもと作成)
基礎情報学における情報の三層構造(西垣通『基礎情報学』の定義より、ご本人監修のもと作成)

「生命情報」が個人の感情や身体と結びついた「意味」とのことですが、では機械には「生命情報」はないのか、人間と機械の違いは何なのかという疑問をもちました。デジタル社会ではロボットやAIが身近な存在になってきています。人間と機械との違いは何でしょうか?

これは難しい点なんです。まず人間を含む生物についての定義もさまざまです。昔は、生物と機械は素材が違うだろうと言われていましたが、ヒトの素材はタンパク質で特別なものは何もありません。素材の違いではなく、システムとして違うのです。生物は自分の行動やそのルールを自分で創り出す「自律性(autonomy)」をもつオートポイエティック・システム※4です。つまり自分で自分を創っていく存在。およそ人間も、昆虫も、植物も、生物は勝手に生きています。機械などの非生物は、他者の指令に従って作動するアロポイエティック・システムなので、両者は根本的に異なります。機械は「他律性(heteronomy)」に基づく存在です。自律型と呼ばれて一時的に指令なしで勝手に作動しているように見える機械もありますが、メタレベルでは人間の指令、事前に仕込まれたプログラムに従っており、実は疑似的自律性をもつ他律的な機械に過ぎません。

人間は心の中で自分の記憶に準拠しながら、どんなことでも自由に考えられる生物的な自律性をもっています。ただし、人間は同時に、社会で生きていくために社会的観点から見て他律的に行動することが少なくありません。企業組織を例にしてみると社員は社長の方針や命令に従って行動しますよね。つまり人間とは、心的観点から見ると原理上は自律的でも、社会的観点から見ると制約を受けて思考している他律的な存在なのです。だからデジタル情報のメカニズムのもとで人間が制御され統治されるという側面が現れる。私の基礎情報学では、この「自律と他律の二重性」をHACS(階層的自律コミュニケーション・システム)というモデルで分析しています。このモデルをつくった背景には、情報システムをうまく捉えて、私たちが過ごしやすい社会をつくりたいという思いがありました。

HACSによる視点移動(西垣通『超デジタル世界』より、ご本人監修のもと作成)
HACSによる視点移動(西垣通『超デジタル世界』より、ご本人監修のもと作成)

機械は擬似的自律性で動いているにもかかわらず、私たちはだまされて、あくまで擬似的なのに逆に人間のほうが他律的になる、ちょっと逆転しているところがあるのですね。

そうです。情報の三層構造や、自律と他律の二重性のしくみをきちんと整理していないと、機械に引きずられて自分を過度に他律的に位置づけ、言われたとおりに行動してしまいがち。でも「自分は、本当は嫌なんだ」ということもありますよね。嫌なことを続けているとだんだん自分の心が破壊されていきかねません。生物の自律性は、自分がしたいことをして生きていくのが原則です。おいしいものを食べたいとか、誰かを好きになるとか、全部「生きる」ことと直結します。私たちはそれを「感情」と名づけて、自律と他律を何とか調整しながら社会の中で生きているわけです。人間は常に「現在」に生きている。次の瞬間どうなるか、本当はわかりません。それに対して、機械は「過去」のデータを合理的に組み合わせた統計処理で答えを出しているだけ。全く新しい状況には対応できない。その違いが非常に大事です。「機械は意味を理解しない」と言われていますが、それは当たり前です。「意味」は生きるためのものですから。

※1 人間中心主義:自然環境は人間が利用するための存在である、もしくは人間がもっとも進化した存在であるという信念
※2 サイバー・フィジカル・システム(CPS:Cyber-Physical System):実世界(フィジカル空間)の多様なデータを収集し、仮想空間(サイバー空間)で大規模データ処理技術により分析をおこない、実世界に最適な結果を導き出すという、サイバー空間とフィジカル空間が緊密に連携するシステム。
※3 情報理論:情報・通信を数学的に論じる学問。1948年に通信工学者のクロード・シャノン(Claude Elwood Shannon、1916-2001年)が Bell System Technical Journal に投稿した論文 『A Mathematical Theory of Communication(通信の数学的理論)』を始まりとする。
※4 オートポイエティック・システム:オートポイエーシス(autopoiesis)の概念は、生物学者のウンベルト・マトゥラーナ(Humberto Romesín Maturana、1928-2021年)とフランシスコ・ヴァレラ(Francisco J. Varela、1946-2001年)によって、1980年に『Autopoiesis and Cognition: The Realization of the Living』で細胞や神経系のためのシステム理論として提唱された。

社会的・文化的背景をいかしたデジタル化

西垣先生は、著書『超デジタル世界―DX、メタバースのゆくえ』の中で、現在話題になっているDXやメタバースを題材にしてさまざまな問題提起をされています。社会や未来に対する課題と西垣先生が思うことは何でしょうか?

現在、日本はデジタル後進国であると言われており、政府や産業界はその遅れを取り戻そうとしてデジタル庁を中心にDX(digital transformation)にまい進しています。ところが、私がエンジニアになった1970年代は、日本のIT能力はとても高かったのです。銀行オンラインシステム、新幹線運行管理システムなどが好例で、これらは全て高価なメインフレーム※5による「トップダウンのクローズド・システム」です。システムにアクセスできるユーザは専門家だけで、信頼性や性能を高めるために膨大な工夫とテストが積み重ねられました。これは、日本古来の水田耕作に由来する緻密な共同作業の伝統を踏まえているのです。つまり、高度な能力をもつ限られた専門家たちが、きめ細かいチームワークで時間と労力をかけて高品質の生産物を作り上げる。専門的努力によって誤りの少ない高品質なITシステムが実現されました。

一方、今のDXは2000年代のWeb2.0※6に端を発したインターネットがベースの「ボトムアップのオープン・システム」で、ユーザはスマホを使う一般の人びとです。オープンソース、オープンデータ、クラウド処理に基づく安価なデータ処理システムは、ボトムアップで比較的短期間で開発できるメリットがあります。いち早く人びとの興味をひくアプリを開発して売り出し、誤りや問題点が見つかったらその都度ユーザも含めた皆で修正すればいいという考え方なのです。開かれたトライアル・アンド・エラーの努力が社会の進歩をもたらすとは、まさに米国流の発想です。

現在主流のDXは、日本社会がもつ特性と合っていないということでしょうか?私たちにはそうした自覚がありません。世界中でDXが進められているので日本も同じようにDXが進むものだと思って、特に疑問をもっていませんでした。

日本社会と欧米(特に米国)とのあいだには、社会的・文化的な風土や伝統の大きな相違があります。この相違を無視して「海外に後れるな」と性急にことを急いでも、人びとはますますDXへの不信感を強めるだけで、成功は難しいでしょう。この点が、デジタル化に関する私の心配事です。日本社会に受け入れられるのは、高信頼・高性能の精密なシステムだと思います。人びとはトップダウンで与えられたシステムに従順ですが、使用中に誤りが多発することを納得しません。医療サービス、自治体の行政サービス、いずれもきちんと整備されて正確に機能することが大前提とされている。時間をかけて綿密に作業を積み上げ、人びとの厚い信頼を得ることこそが、日本でのDX成功の鍵なのです。また、メタバースは近未来的技術なので、その実現は本格的にDXが普及した後になるでしょう。米国文化にただ追従するのではなく、自分たちの伝統や文化のよい面をいかして慎重に、また戦略的にデジタル化を進めることが大切だと思います。

日本社会は自分たちのよさを見失いつつあるのでしょうか?西垣先生は、日本社会のよさはどういったところだと考えていらっしゃいますか?

今の日本社会では、競争に負けるとすぐに「おまえはダメだ」とレッテルを貼られてしまいがちなので、生きていくのが非常にきついと思います。大切なのは、たとえ競争社会についていけない人でも、それぞれがそれなりに生きていて、それでいいんだと思える寛容な価値観を取り戻していくこと。多様な人たちが一生懸命がんばっていて、それで世の中が回るわけですから。結局、日本社会のよいところというのは、例えば期日までに担当の仕事をきちんとやりぬく、冷凍食品なら溶けないように宛先に届ける、そういう目立たないことの積み重ねだと思います。手間のかかる米作りも、高品質な製品作りもそうです。自分の役割をきちんと守るんだという意識の積み重ね。私自身もメーカーで働いていた時から感じていました。下積みの作業員もみんな誠実に働いていて、それなりに誇りをもっていた。それを経営者側も尊敬していたんですよ。あの人たちの努力のおかげでよい製品ができるんだって。

ところが現在、「作業員なんて単なるコストだ」「ダメになったら切り捨てる」という考えをもつ人が多い社会になりつつあります。そこに効率・向上という価値観を入れてしまうと、本当に日本の根本的なモラルが崩れていくのではないでしょうか。人間はそんな簡単には変わらない存在なんです。それに、緻密なデジタル社会は、細かいところできちんと自分の役割を果たさないとうまく動きません。米国では多少間違ってもやがては修正されていくだろうという大雑把な考え方が主流ですが、日本では、事故が起きてサービスが止まるのは致命的。そうならないようにするには細かい工夫が必要で、その積み上げが重要です。だから、細かい積み上げという意味ではボトムアップ。日本には米国流とは違うボトムアップの伝統があります。そのような積み上げの文化は、今後のデジタル時代にむしろ世界で尊敬されるだろうと思います。これを否定したのは失敗だったかもしれません。1980年代から90年代ぐらいまではいわゆるジャパン・アズ・ナンバーワン※7の時代もあって日本の工業力は非常に評価されていましたが、ここからもう一度新たなICT※8の基盤を日本流で組み立てていかなければいけない。AIは万能だとか、その知力は人間をしのぐとか変なことを考えず、AIなんて単なる道具だとみて活用するほうがよいのです。

※5 メインフレーム:主に大企業や官公庁など巨大な組織の基幹情報システムなどに使用される大型コンピュータ。
※6 Web2.0:普及初期のウェブサイトにはない新しい技術やしくみ、発想に基づいたウェブサイトやサービスなどの総称。送り手と受け手が流動化し、誰でもウェブサイトを通して情報を発信できるように変化した。
※7 ジャパン・アズ・ナンバーワン:日本経済の黄金期を象徴的に表す言葉として比喩的に用いられることが多い。もとになったのは『Japan As Number One: Lessons for America』(Ezra Feivel Vogel、1979年)とその日本語訳『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(広中和歌子、木本彰子 訳、1979年)。
※8 ICT:Information and Communication Technology(情報通信技術)

人間にとって「問う」ことの意味

変化が激しく「答え」が見えない社会の中で、電通総研は「問い」を立てることの重要性が高まっていると考え、今回「問いという帆」を2024年に向けた大きなテーマにしました。西垣先生は、「問い」を立てることについてどうお考えですか?また、「問い」を立てて何をすべきだとお考えになりますか?

問いを立てることはとても大事だと思います。主体的に「新しい問い」を立てることが求められるでしょう。その時に生成AIを道具として使用することは構わないのですが、効率のために生成AIに丸投げして回答をコピーするだけだと、問題解決のための人間の思考力やコミュニケーション能力はたちまち弱体化してしまう。それに「まずAIに尋ねてみよう」という習慣が広まると、産業的競争力も削がれていきます。日本は「和魂洋才」で欧米の近代技術をうまく消化し発展させた国だと見なされてきましたが、DXやAIに代表されるデジタル文化については、どうでしょうか。高校時代に文と理をはっきり区別する教育の仕方では、和魂洋才の戦略はもはや通用しにくい。そろそろ単なる模倣追従と改善だけでなく、自ら「根本的な問い」を立てて日本流のデジタル文化のありかたを考えてもよい頃ではないでしょうか。和魂をつくってきた伝統文化に立ち返り、近代技術を基本から見直す、というアプローチも有意義だと思います。

西垣先生の基礎情報学では「コミュニケーション」と「プロパゲーション」が対比されています。「プロパゲーション」とは何でしょうか?「プロパゲーション」における人間性の意味とは何でしょうか?

まず理論的な話から入りますが、情報の伝わり方を考察するとき、「コミュニケーション」は共時的(synchronic)で、「プロパゲーション」は通時的(diachronic)なものと捉えられます。社会の中で、時間軸上のある一点において生じる対話的出来事が「コミュニケーション」で、長期間にわたって生じる価値観や意味構造の変化が「プロパゲーション(意味伝播)」なのです。言語学者のソシュール※9による構造主義的な言語学では、地上にあるそれぞれの言語(例えば英語、フランス語、日本語など)が、各時点でそれぞれ独特な方法で世界を分節化して記述しており、それら言語のあいだに優劣は無いという主張がなされました。「コミュニケーション」についてのこういった共時的議論は、社会人類学者のレヴィ=ストロース※10の相対主義的な世界観をもたらしました。それまでは西欧的近代主義のもとで、世界は時間経過とともに一つの正しい方向に進歩すると考えられていたのですが、ある時点で比べれば、それぞれの言語や文化に相違はあっても上と下はないんだ、という考え方になってきたのです。

基礎情報学ではHACSモデルのもとで「コミュニケーション」を捉えています。上位の階層にある社会システムにおいて、下位にある構成メンバーの言語行動は、心の中では自律的であっても他律的なものと捉えられて、それを素材として「コミュニケーション」が発生します。その点ではAIの言語行動も同一です。しかし、人間がAIと根本的に異なるのは、人間の心のシステムは新たな状況のもとで、その時その時に応じて、新たなイメージや言語行動を創りだせる点です。やがてそれが反映されて、社会システムにおいては時間経過とともに新たな意味構造ができあがっていきます。このような通時的な変化を、基礎情報学では「プロパゲーション」と呼んでいます。例えば「職場で、女性と男性は同じ基準で評価されるべきだ」という言説、つまり意味構造の伝播拡大は、ここ数十年で生じた「プロパゲーション」と言えるでしょう。基礎情報学においては、「コミュニケーション」と「プロパゲーション」という二つの概念を用いて人間の情報行動を分析しています。

こういう理論的な話を踏まえて、今から大事なことを言います。パラダイムシフトや社会のシフトと言われるものは、「コミュニケーション」の繰り返しで価値観が変わっていく「プロパゲーション」なんです。「コミュニケーション」の一部にはAIも参加できる。例えばここにAIがいて、そのAIはロボットでも対話型の生成AI※11でも構いませんが、それに何かを尋ねたら、結構気の利いた答えが返ってくることがあります。共時的な個々の場面においては、AIは遅かれ早かれ会話に入ってくるでしょう。ただし、AIと人間はそれぞれ役割が違っていて、AIはいろんなデータを高速操作できるけれども、パラダイムシフト、つまり新しいパラダイムを考案したりすることはできません。それができるのは人間です。価値観をもって主体的に変えていく、そのプロセスで、自分ももちろん変わっていく。社会の影響を受けて、いろいろなものを見聞して、自分の心も変わっていく。それがいつの間にか社会に対する発言を変えていく。社会というものは、徐々に徐々に、あるいは急激に変わることもありますが、とにかく変わるのです。

新しいパラダイムを考えるにあたっては、人びとによる「集合知」が重要になるのではないかと思います。困難に対処するための本当の「集合知」とは、どのように形成していくべきでしょうか?

インターネットがWeb2.0で皆に開放された2000年代以降、一般の人びとが社会に対して発言できる機会を得ました。皆で話し合えば、世の中はよくなるのではないかというムードが盛り上がったこともありました。新たな民主主義の到来だと。それが集合知として話題になりました。

しかし、残念ながら集合知のナイーヴな楽観論は、今や否定されつつあります。人びとはインターネットの中で、エコーチェンバー※12の中に閉じこもって、自分と同類の意見をもつグループだけで語り合っていて、違う意見をもつ人びととの討論を回避しがちです。さらには、異なるグループの人びとを匿名で誹謗中傷して憂さをはらす人も少なくないという悲しい現実があります。これは絶対によくない。ネット上での発言にも責任が伴うようなルールや制度を導入しないと、生産的な集合知は実現できないと思います。インターネットはもっと建設的に使わないといけません。これは匿名性とも関わります。日本は欧米より匿名発言の比率が非常に高い※13と言えます。もちろん匿名が有益なこともある。例えば社内で幹部の悪事を告発する場合に匿名なのは構わないでしょう。しかし、自分より弱い立場の人を攻撃して、自分は匿名だから安全だという状況は、昔の日本では許されにくいものでした。それは卑怯者だという価値観が強かったのです。卑怯なことをやってはいけないという大前提が崩れれば、自由なインターネットの中は地獄になってしまう。そこを直さないといけない。そうしないと生産的な集合知はできないと思っています。

集合知の意義自体は今でも色あせていないのですが、さまざまな工夫が必要です。民主主義は、異なる意見や価値観をもつ多様な人びとが、困難に対処するために辛抱強く語り合って何とか着地点を見つけていく考え方ですから。お互いにある距離を保ちながら相手との信頼関係を醸成しなくてはならない。情報を理解するということは、何といっても生命的な行為なのです。「あの人の言うことだったら自分はよいと思う」といった信頼関係でチームプレーはうまくいく。言葉にははっきりと出さないけども以心伝心で重要なことを伝えるのが日本語の特色です。全部明示的にしゃべらない。そういう文化の中で集合知をつくっていくには、それなりの工夫が必要です。例えば俳句は座の文学だから、お互いの信頼関係や共感がまずあります。だから、そこで誤解も生じづらいし、深刻な対立にもなりません。

集合知の形成に大切な人と人との信頼関係、コミュニティや社会の信頼関係は「生命情報」から生まれるのですね。「情報」の概念そのものに「人間」「生命」「心」といったものが根本的に結びついている西垣先生のお考えは、これからの社会で「問い」を立てることの基本になると感じました。

個人やグループが間違って非合理的な判断をしてしまうこと自体は、ある程度やむを得ないものです。だからこそ、信頼関係の中で異なる意見を交わし合って「集合知」を求めていくメカニズムが不可欠なのですよ。何だかんだ言っても、人間は生まれて死んでいく、それだけの存在です。でも、一人一人の人間の人生はそこにかかっているわけですよね。そういう覚悟が大事なのではないでしょうか。これを否定したくはありません。結局、「一人一人は生まれて死んでいく。その間、どう生きていくか問いかけながら生きようとする。その姿勢を大事にしよう」というのが、私の情報学からのメッセージなのです。

Text by Mayumi Nakagawa

※9 フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure、1857-1913年):スイスの言語学者、記号学者、哲学者。記号論を基礎づけ、後の構造主義思想に影響を与えた。
※10 クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss、1908-2009年):フランスの社会人類学者、民族学者。ベルギー生まれ。1960年代から1980年代にかけて、現代思想としての構造主義を担った中心人物の一人。
※11 対話型の生成AI:人とAIが対話するように自然な文章でやり取りできるAIのこと。
※12 エコーチェンバー:自分と似た意見や思想をもった人びとが集まる場(電子掲示板やSNSなど)において、価値観の似た者同士で交流・共感しあうことにより、特定の意見や思想が増幅する現象。
※13『令和4年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書(総務省)』によると日本の13~69歳における主なソーシャルメディア利用はLINE 94.0%、YouTube 87.1%、Instagram 50.1%、Twitter(現X)45.3%、Facebook 29.9%、TikTok 28.4%である。米国の16~64歳(2021年)はYouTube 81.9%、Facebook 73.4%、Instagram 56.6%、Facebook Messenger 55.7%、Twitter(現X)43.2%、 Pinterest 35.4%、Snapchat 32.1%、LinkedIn 28.0%、TikTok 25.8%であった(datareportal.comより)。下線が原則実名のソーシャルメディア。


西垣 通 にしがき・とおる

東京大学大学院 情報学環名誉教授

1972年東京大学工学部計数工学科卒業。日立製作所主任研究員、米国スタンフォード大学客員研究員、明治大学教授を経て、1996年より東京大学社会科学研究所教授。2000年の東京大学大学院情報学環の設立とともに、同教授に就任。2013年に東京大学を定年退職し、東京経済大学コミュニケーション学部教授に就任、2019年に定年退職。文系と理系を結ぶ基礎情報学の構築に従事。2023年、『超デジタル世界―DX、メタバースのゆくえ』(岩波新書)、『デジタル社会の罠 生成AIは日本をどう変えるか』(毎日新聞出版)を出版し、日本がデジタル後進国となった原因に迫る。

1972年東京大学工学部計数工学科卒業。日立製作所主任研究員、米国スタンフォード大学客員研究員、明治大学教授を経て、1996年より東京大学社会科学研究所教授。2000年の東京大学大学院情報学環の設立とともに、同教授に就任。2013年に東京大学を定年退職し、東京経済大学コミュニケーション学部教授に就任、2019年に定年退職。文系と理系を結ぶ基礎情報学の構築に従事。2023年、『超デジタル世界―DX、メタバースのゆくえ』(岩波新書)、『デジタル社会の罠 生成AIは日本をどう変えるか』(毎日新聞出版)を出版し、日本がデジタル後進国となった原因に迫る。

中川真由美 なかがわ・まゆみ

電通総研 チーフプロデューサー/主任研究員

徳島県生まれ。2002年株式会社電通に入社し、マーケティング、イベント、PR、ビジネスプロデュースなどの領域を担当。2023年より電通総研。人間科学的アプローチから、主にDEI、学びなどを研究する。

徳島県生まれ。2002年株式会社電通に入社し、マーケティング、イベント、PR、ビジネスプロデュースなどの領域を担当。2023年より電通総研。人間科学的アプローチから、主にDEI、学びなどを研究する。